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2013年第36号より2013年第32号より

【留学生の就職事情】
(寄稿)ナジック学生情報センターグループ 

 平成25年度、4大・短大卒55万9千人のうち正規雇用の就業者は36万2千人に止まり、非正規雇用者を含める進路未定者は12万4千人で全卒業生の22%強占めています。
 また、在日留学生の状況はより深刻で、我が国の大学・大学院を卒業する留学生2万2千人のうち約9千人が日本に留まらず帰国ないし他地域に移動し、卒業後日本での在留を選択した1万3千人のうち約3千人は進学も就職もできない現状です。
 一方、海外展開を行う日本企業は大企業のみならず中堅・中小企業まで幅広く多種多様になってきています。これら企業にとって、進出先の現地人材確保は最重要課題で、日本の文化と自国の文化双方を理解している留学生が注目されているものの、企業・学生双方に就労のための正確な情報が提供されていないのが実情です。
  これらの実情を踏まえ、ナジック学生情報センターグループでは、学生就業体験事業「ワークプレイスメント」プログラムや日本企業を招いたセミナーを通じて日本企業のダイナミズムや現場の強さを経験することにより、日本人学生や留学生がこれら企業で活躍する機会を創出していきます。

※ 上記の写真は、日本と中国における企業と学生の価値観の違いを、文化の違いから導き、気づかせるセミナーの様子。
  とにかく「自分」を強く主張する留学生には、採用する側の目線に思い至らせ、気づかせる効果があります。
  日本語による活発なコミュニケーション、特にグループワークや面接を意識した企業人との会話を促すため、講師は一人一人に問いか 
  け、話を引き出し、セミナーへの参加意識を高めることから取り組んでいます。。


2013年第35号より2013年第32号より

【ワークプレイスメントの自治体との取組】
(寄稿)ナジック学生情報センターグループ 

 寺島実郎先生にご指導いただき、ナジックが全国の大学や地方自治体等と協力して展開中の学生就業体験事業「ワークプレイスメント」を活用したインターンシッププログラムが、2013年6月「三重県・中小企業の魅力体験緊急雇用創出事業」に採択されました。三重銀行から推薦された県内企業と東海地域インターンシップ推進協議会(会長:濱口道成名古屋大学総長)を通じ募集した学生をマッチングさせ、夏季休暇中に4名の学生が就業体験を行いました。
 11月8日(金)、本プログラムを終えた学生4名による企業の魅力を伝えるプレゼン「MIE1GP」が「リーディング産業展みえ(四日市ドーム)」会場にて開催されました。学生のプレゼンに対し、学生の成長・企業の魅力・提案の良さの3つの観点から来場者が審査を行い、学生にはワークプレイスメントとその意義をご紹介くださっている寺島先生の著書『何のために働くのか-自分を創る生き方』をナジックより贈呈させていただきました。学生は、「充実した就業体験に加え、プレゼンに挑戦し、自分自身の成長を実感でき達成感を感じた。」と話しており、来場した学生からは「県内中小企業の魅力が伝わってきた。是非やってみたい。」との感想が聞かれました。


 

2013年第34号より2013年第32号より

【寺島文庫塾 活動紹介】
第3回 アジアの安心・安全に関する技術基盤研究会
 

 2013年10月4日(金)、文庫Caféみねるばの森において、日本ロボット学会主催による第3回「アジアの安心・安全に関する技術基盤研究会」が開催されました。本研究会は、日本の産官学連携により、アジアの災害に関する技術基盤プラットフォーム構築及び交流を如何に進めるべきかを考察するために2013年1月に設立、第3回となる今回の研究会のテーマは、「災害対応とライフケア」で2名の発表者がプレゼンテーションを行いました。当日の模様に関しては、北海道大学大学院情報科学研究科准教授の田中孝之様よりご寄稿を頂きましたので以下掲載いたします。

【寄稿】 田中孝之氏 (北海道大学大学院情報科学研究科准教授)

 1人目の発表者である産業技術総合研究所の大場光太郎氏は、「気仙沼絆プロジェクトにおけるライフケア」と題した講演を行いました。その要旨は、気仙沼市の仮設住宅にて実施されているロボット技術を活用した被災者の生活支援に関する事例と今後の可能性についてでした。例えば、トレーラーハウスや浄化槽などのインフラ設置と、ライフケアのためのロボット技術、通信技術を適切に使用することにより、仮設住宅の住民に社会参加の機会を提供することが可能となります。また、社会参加レベルをより向上することにも貢献できます。こうしたロボット技術の応用によって、仮設住宅における生活を余儀なくされている住民の「積極的活動レベル」と「生体機能レベル」の低下を抑制することが可能となり、廃用症候群の予防ともなり、ひいては住民間のコミュニティを維持することも期待できるのです。こうした分野にロボット技術が有効活用されていることが大場氏より紹介されると、住民と一体となって取り組む活動の将来における可能性に、参加者から多くの質問が相次ぎました。
 次に、北海道大学の田中孝之からは 「軽労化スーツによる生活復旧支援」と題する発表が行われました。具体的には、震災後の瓦礫残土除去にあたるボランティアの身体ケアに筋力補助スーツが活用された実例が紹介されました。そして、震災後の迅速な対応が可能な体制の在り方を巡り、その中に占める技術の重要性について説かれました。
 日本の誇るロボット技術が災害対応に役立つこと、さらにはアジア・世界に貢献していくことを目指し、寺島文庫を舞台として社会政策など多様な分野とのシナジーが拡がっていくことが期待されます。


2013年第33号より2013年第32号より

ワークプレイスメント事業 最新報告

 寺島文庫は、NPO法人みねるばの森、(一財)日本総合研究所と連携し、従来の「職場見学」に終わりがちなインターンシップではなく、就業体験型・有償(労働の対価を受け取る)型のインターンシップであるワークプレイスメントの推進を行っています。今号では、学生生活の総合的サポートを展開している学生情報センターグループのワークプレイスメント推進に関する最新の取り組みをご紹介します。
 ワークプレイスメントを通じ、学生が自分の人生を切り拓いていくための有益な就業体験の機会を提供するだけでなく、地域に存在する魅力的な中堅・中小企業と学生のマッチングを促進していくため、地方自治体や地元金融機関等との連携が進んでいます。例えば、三重県の「中小企業の魅力体験緊急雇用創出事業」、大阪府の「外国人材活用システム構築事業」として採択され、地域の中堅・中小企業に関心を持つ日本人学生や留学生に就職先の選択肢を広げる就業体験の機会を提供しているほか、三重銀行や近畿大阪銀行と提携を結び、取引先企業と学生とのマッチングを行うなど、官民を問わない若者の就業支援の取り組みが広がっています。

※ナジック・ワークプレイスメントについては、下記バナーよりご覧ください。


2013年第32号より2013年第32号より

ジャパンエフエムネットワーク 「月刊寺島実郎の世界」

寺島実郎が語る歴史観
 ― 17世紀オランダからの視界『キリスト教の伝来と禁制』

 今号では、2013年7月27日(土)(首都圏28日(日))に、TOKYO FM他、全国FM各局にてオンエアされた 「寺島実郎が語る歴史観―17世紀オランダからの視界『キリスト教の伝来と禁制』」をダイジェストでご紹介します。

 ■ 収録イメージ

<ダイジェスト>
 日本にキリスト教が伝わったのは、1549年イエズス会のフランシスコ・ザビエルによる鹿児島上陸当時という説が広く知られているが、実は7世紀から8世紀にかけて、シルクロードの民・ソグド人から中国へ、そして中国から日本へ伝わっていた。記録によれば736年に「ネストリウス派キリスト教」が「景教」という形で日本に伝来。さらに遡って635年にペルシャ人僧のアロペン(阿羅本)が長安にネストリウス派キリスト教を伝え、638年には大秦寺を建てたとある。当時の日本が「大化の改新」の10年前だったことを考えると非常に興味深い歴史の流れを感じる。その後、現ウズベキスタンに住むイラン系のソグド人商人たちが東西交易に大きな役割を果たすと同時に、中国に仏教やキリスト教を浸透させていった。こうして大秦寺を拠点に、中国で景教が広まっていったが、845年武宋皇帝による道教保護のため景教は弾圧を受け、急速に衰えていった。

 なぜ、キリスト教は8世紀ではなく、800年後の1549年以降に日本で大々的な広まりをみせたのか。日本精神史の土壌と近世を迎える頃の社会構造の変化が関係していると思われる。キリスト教は大きくカトリックとプロテスタントに分かれ、16世紀初頭からフランシスコ会、ドミニコ会などの修道士がポルトガル国王の援助を受けながらインド・ゴアを拠点に東方布教を開始し、イエズス会のザビエルがリスボンからアジアに向かった。1542年、ザビエルはゴアに到着、マラッカ滞在中に日本人のアンジロウらに出会って日本での布教活動を決心、49年に鹿児島に上陸し平戸や山口、そして大友宗麟がいる大分県で2年余り布教活動に専念した。ザビエルの来日から1587年の「伴天連追放令」まで、日本人キリシタンの数は実に40万人とも言われた。現在は113万人で人口の1%にも満たないことを考えると、当時どれだけの浸透力を持っていたかがわかる。

 では、なぜこんなに短期間に浸透したのか。3つ理由が挙げられる。まず、16世紀の日本が「中世から近世への転換期」という社会的背景の中にあったこと、2つ目は親鸞の登場により、仏教が国家から民衆のものへと転換していったこと。3つ目は、宣教師たちの努力と苦闘であり、絶対神のもとでの平等を信条とするキリスト教に民の心が動いたからだ。そんな中で、突然、秀吉による「伴天連追放令」が発令された。理解ではなく、戦略として比叡山や一向宗勢力に対抗するためにキリスト教を保護した信長とは違い、実利主義を常としていた秀吉は、キリスト教を警戒しつつも、ポルトガルとの交易を重要視していたため、布教活動を許可するなど、ある程度の理解を示したが、イエズス会の準管区長コエリョが長崎から回航し、乗船した際に、イエズス会の船が大砲を積んでいることなどを知り、急激にスペイン・ポルトガルへの危機感が現実味を帯びたようだ。その後、徳川政権においてキリシタン禁制はどのようになるのか、深めていきたい。
   
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