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2015年第50号より
2013年第32号より

寺島文庫 近隣探訪記
滝沢馬琴と深く結びついた築土神社

 前号でご紹介した滝沢馬琴の足跡を辿り、改めて築土神社を訪ねてみました。寺島文庫から目白通りを横切り、「中坂」と呼ばれるやや急な坂を少し上ったところにある境内は、モダンなビルの一角に埋め込まれた感があり、狛犬と鳥居で初めて神社と分かります。参道を歩み手水舎と拝殿が視界に入ると突然、厳かな神社の雰囲気が漂います。拝殿右には世継稲荷の祠が建っています。

 馬琴が九段に住んでいた江戸末期、この地には世継稲荷のみが存在していました。馬琴は寺島文庫近くの自身の屋敷から5分もかからないこの世継稲荷に頻繁に参拝し、「世継稲荷参詣」と記した直筆の扁額を奉納しています。商家に婿入りして町人となった馬琴は、滝沢家の武家再興を長男に望んだのでしょう。しかし長男は40歳手前で亡くなります。すると馬琴は孫を御家人身分とすることに尽力しました。世継稲荷の境内に平将門を祭神とする築土神社が移ってきたのは1954年のことです。神社創建は、将門の首を桶に納めて祀られた940年に遡ります。長い歴史の中で幾度も戦火や水害に逢い、改築と移転を繰り返し、馬琴の時代には現在の築土八幡神社(飯田橋駅北西部・徒歩3分)にありました。こちらにも九段の馬琴の屋敷からは徒歩で通えます。

 後に馬琴は、将門が祀られている神田明神近くに息子を住まわせ、自身もそこへ転居しています。また将門の名が登場する『昔語質屋庫(むかしがたりしちやのくら)』や合巻(絵入り娯楽本)である『相馬内裡後雛棚(そうまだいりののちのひなだな)』を描いてもいます。寺島文庫の近隣を歩くと、馬琴の信仰心が蘇ってくるようです。

 
◆築土神社にて笑顔のエリゼ