寺島文庫

火曜, 3月 26th

Last update木, 29 2月 2024 1pm

現在地: Home 寺島実郎の発言 脳力のレッスン 岩波書店「世界」 脳力のレッスン 2015年 岩波書店「世界」2015年5月号 脳力のレッスン157  内向と右傾化の深層構造――二一世紀日本で進行したもの

 
  二一世紀を迎えて一四年。日本はどう変わったのか、改めて構造分析を試みた。見えてくるのは日本人が経済的にも精神的にも貧困化し、アジアのダイナミズムに突き上げられながら物事を深く広く考察する余裕を急速に失いつつある姿である。

進む日本の貧困化と日本人の仕事の変化

  普通のサラリーマン家計が毎月実際に使える所得、つまり給料から税金や年金・社会保険などを納めた後手元に残るお金を「勤労者世帯可処分所得」という。二〇〇〇年の勤労者世帯可処分所得は月額四七・三万円であったが、これが二〇一四年には四二・四万円となり、二一世紀に入ってからの一四年間に月額で四・九万円、年額では五八・八万円も所得減になっている。注目すべきは、アベノミクスが始まる前の二〇一二年の四二・五万円よりも減少していることであり、異次元の金融緩和も国民を豊かにしていないことは確かである。

  次に、家計消費構造の変化を確認するため、全国全世帯(単身者を除く二人以上の世帯、含む農家)の消費支出の二一世紀に入って一三年間の変化を注視してみる。この間、世帯当たりの消費支出は月額二・七万円減少した。表を見てもらいたい。月額で二・七万円も減る消費の中、増えた項目と減った項目が存在する。かかる状況下でも増えた項目は自動車関連費、通信費、そして健康・医療関係である。ガソリン代を含むということもあるが、自動車は奢侈品ではなく「生活車」となり、地方都市圏では車なしには生活が成り立たない構造になりつつある。通信費の増加は、電話代の単価は下がっても一家全員がケータイとスマホに依存する生活に移行したことが大きい。また、健康・医療関係費の増加は、如何に吝嗇な人でも自分の健康に関わることには出費を厭わないという傾向が見てとれる。一方、減少が顕著な費目は小遣い、交際費であり、交通費、外食なども含め日本人が悲しいほど行動的ではなくなったことが窺える。特に気になるのは仕送り金、授業料、教養娯楽、書籍などの減少であり、日本人は学びへの余裕を失いつつある。

  これほどまでに貧困化が進んだ背景には「就業人口構造の変化」がある。二〇〇〇年から二〇一二年までの期間に、製造業から二二五万人、建設業から一二八万人の雇用が減少し、同期間にサービス業で四七一万人の雇用が増えた。製造業・建設業からサービス業に就業人口を移動したわけだ。リストラはされたが新たな仕事に就いたので失業率は増えていない(二〇〇〇年四・七%、二〇一二年四・三%)のだが、サービス業の平均雇用者報酬は三二八万と、製造業比一九三万円、建設業比一六七万円も低い。サービス業で雇用を増やしたというが、具体的には介護、ガードマン、タクシー運転手などきつい労働の割には報酬が低い職種である。つまり経済生活を劣化させながら頑張っている人が増えたのだ。就業構造の変化は、単なる収入減を超えて国民の意識により深い所で影響を与えているだろう。人間は自分の生活の基盤がいかなる仕事によって成り立っているかに影響を受けるからだ。自然や人間総体と向き合う仕事に情熱を燃やすことができれば心の充足度が高まる。しかし組織の断片的部品のような無機的な仕事に向き合わざるをえない人の心は次第にアトム化し孤独な魂と化す。日本人の心が何やら荒んできたことと無関係ではない。

 就業においては、知的生産に参画してメシを食うことが一段と難しくなっている。かつて「大学は出たけれど」という言葉があったが、現在では大学院レベルの教育を受けた人の就業も容易ではない。二〇一四年三月に大学院修了者の数は、修士課程七・三万人、博士課程一・六万人の合計八・九万人であったが、正規の職に就けたのが修士五・一万人、博士八千人で、進学者を除く修士卒業者の二割、博士卒業者の五割が非正規雇用もしくは無業者であった。つまり大学院は出たけれど不本意・不安定な雇用環境に置かれた人が年に二万人を越し、「高学歴フリーター」という立場の人が、今世紀に入っての累計で約三〇万人も存在するのだ。非正規雇用者の就業条件は低く、大学院卒にもかかわらず「結婚もできず、ローンも組めない」人たちが鬱々と蓄積されているのである。
 今世紀に入り、日本における「分配の歪み」は間違いなく大きくなっている。法人企業統計における労働分配率は、二〇〇〇年度の六三・七%から二〇一三年度の六一・六%へと下落した。背景には労働組合運動の弱体化という要因が存在する。もはや連合の組織率は一八%を割り経営が緊張感を持って対峙する相手ではなくなってしまった。血相を変えて「存続のためのリストラ」を迫る経営に対し「分配よりも雇用の維持」に動かざるをえなかった労働組合の悲哀が見てとれる。
 この間日本企業の内部留保(利益剰余金)の残高は増え続け、二〇〇〇年度に一九四兆円だったものが二〇一三年度には三二八兆円にまで増大した。加速化したグローバル競争の中で利益を確保できる経営を模索した結果ともいえる。バブルのピークだった一九九〇年度が一二七兆円で、二・六倍に内部留保を増やしたことになる。これほど内部留保を積み上げて、経営者の心理に余裕が高まっているかといえば決してそうではない。為替の変化によって業況が激変する「変動リスク」の肥大化に怯え、むしろ不安は増幅している。本当は「法人税の減税」より優先すべき「分配の不条理」が進行しているのだが、企業はひたすら内部留保の充実を模索するのである。

 静かに進行する貧困化の一方、アベノミクスによる異次元の金融緩和によって株価が上昇し、懐が豊かになった人も存在する。二〇一二年に九一〇八円だった日経平均が二〇一三年には一三五七八円、現在は一九〇〇〇円台なのだから実に二年で二倍である。だが冷静に見れば二〇〇〇年の日経平均は一七一六一円、バブルのピークだった一九八九年末は三九〇〇〇円台だったわけでようやくその半分に戻った程度ともいえる。

心理的圧力としての中国の台頭と大中華圏のダイナミズム

 二〇〇〇年、中国のGDPは世界六位だったが、二〇〇七年にドイツを抜いて三位、二〇一〇年日本を抜いて世界二位となった。そして二〇一四年、中国のGDPは一〇・三兆ドルと日本の二倍となり、購買力平価ベースでは既に三倍を上回ると推定される。経済の規模だけでなく、国民の豊かさを示す指標といえる一人当たりGDPは、二〇一四年の中国は七六五〇ドル程度だが、中国とネットワーク型発展の中にある大中華圏(華人・華僑圏)の香港・シンガポール・台湾は日本を凌駕するレベルに到達しつつある。日本のPHGDPは円安反転の影響で三・七万ドルに圧縮されたが、シンガポールは五・八万ドル、香港は四・〇万ドル、台湾は二・三万ドルで今年は二・五万ドルに至ると予想される。二・五万ドルは日本のバブルのピーク一九九〇年のレベルに台湾も来たわけで、もはや日本がアジアの先頭を走る豊かな国ではないという心理的圧力が日本人の心に静かに高まっている。経済的優位性に支えられた心の余裕は、経済的劣勢によってあえなく憔悴する。自分の価値を冷静に探求するよりも、「せめて近隣の国にはなめられたくない」というプチ・ナショナリズム的心理が頭をもたげてくる。力をつけていく近隣と手を携えるには柔らかく広い心と強い自己確信が必要なのである。

 一方で、日本経済は一段とアジアとの相互依存を強めている。例えば日本の貿易総額に占める相手先の比重は二一世紀に入って大きく変化した。二〇〇〇年には米国二五%、中国一〇%、アジア四一%だったが、二〇一四年には米国一三%、中国二一%、アジア四九%と、アジア貿易の比重が高まっている。また、人の動きでもアジア依存は急速に進行している。二〇一四年の訪日外国人は一三四一万人と前年比三割も伸びたが、一位は台湾からで二八三万人、二位は韓国の二七五万人、三位は中国の二四一万人、四位は香港の九三万人、五位が米国の八一万人である。「やたらに中国人来訪者が増えた」という印象だが、大中華圏から六四〇万人が来日しており訪日外国人の約半分を占める。二〇三〇年までに外国人来訪者を三〇〇〇万人にするのが観光立国の目標だが、実体はその七割をアジアからの来訪者を期待した目論見なのである。

 これほど相互依存が深化する状況にも拘わらず、「アジアとの共生」を語る情熱は忘れられかけている。ASEAN諸国が、今年ASEAN共同体へと踏み込んでいくのを横目に、東アジアには「政冷経熱」の空気が漂う。もちろん日本だけが責任を問われるべき状況ではない。だが日本が成熟した民主国家として一次元高い束ねる力を示していないことも否定できない。

      
問われる日本人の器量――戦後七〇年に示すべきもの

 貧困化の進行と台頭する大中華圏の圧力により日本人の深層心理は一段と屈折しつつある中、日本は戦後七〇年を迎えようとしている。戦後五〇年は右肩上がり時代の余韻を引きずり、戦後六〇年は既にイラク戦争の失敗が露呈し始めていたとはいえ「米国の一極支配」という冷戦後の世界認識に埋没し、戦後日本なるものを疑う心理はまだ蔓延していなかった。

 「報道自由度ランキング」で二〇一〇年に世界一一位だった日本は、二〇一五年には六一位に下落した。日本人の多くは「日本は開かれた国で報道は自由すぎるほど自由だ」と思っているが、実はそうでもない。一つだけ直近の例を挙げる。ベストセラー小説“Unbroken”が女優A・ジョリーの初監督で映画化されて話題を呼び、昨年末全米三五〇〇余の映画館で公開された。アカデミー賞にも三部門でノミネートされ、世界中に配給された。ところが、日本では公開される予定もなくメディアも全く取り上げない。理由はベルリン五輪に出場したアスリートが日本軍の捕虜になる物語で、日本人にとって愉快な内容ではないからである。誰かが圧力をかけているのではない。「慰安婦」などと同じく、「不愉快な過去には向き合いたくない」という時代の空気を投影した暗黙の自主規制である。かつて、英国人日本軍捕虜を描いた映画『戦場にかける橋」が公開され、日本人はそれに向き合う気力を有していた。だが今日本人が目を背けている間に世界の人がその映画を通じて日本の過去と日本人へのイメージを形成している。このギャップが恐ろしいのだ。グローバル化の掛け声とは裏腹に日本は静かに閉塞感の中に沈潜し始めている。「ここがすごいぞ日本人」といったTV番組が目につくが自らを冷静に評価する眼差しを持たねば独りよがりになる。戦後七〇年を冷静に総括し、成熟した平和・民主国家、技術を真摯に蓄積した産業国家として数字だけでは表せない一次元高い社会システムを構築することが二一世紀日本の誇りでなければならない。

   


公開記事につきましては各社及び筆者の許諾を得ています。無断転載・引用等、著作権者の権利を侵害する一切の行為を禁止します。