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岩波書店「世界」2019年1月号 脳力のレッスン201 世界宗教の誕生とその同時性―一七世紀オランダからの視界(その53)

  現在、「世界宗教」といわれるのは、キリスト教、イスラム教、仏教であり、民族を超えた宗教という意味である。ヒンズー教は信者数では約一〇億人と仏教の倍であるが、インド亜大陸の「民族宗教」とされる。信者数では、キリスト教二二億人、イスラム教一六億人、仏教四億人で、世界人口七五億人(2017年)の約六割を占める。
 この三大世界宗教に加え、日本にも大きな影響を与えたという意味で、東アジアにおける信者約二億人と言われる儒教も考察の対象としたい。そこで気付くのは、中東一神教の原点たるユダヤ教、インド亜大陸に生まれた仏教、そして中国の儒教がほぼ同時期、約二五〇〇年前に誕生したという事実である。人類史におけるその意味を考えたい。
これらの宗教に共通するのは「創唱宗教」、つまり開祖の存在である。ブッダ、孔子、キリスト、ムハンマドと、宗祖とされる人物が屹立しているが、唐突に開祖が現れたわけではなく、それぞれが生きた地域における社会状況の中から登場し、生身の人間として苦闘した残像を有しており、それが人々の心を捉え、伝承の中で影響を拡大したことが分る。

 

 

 

世界宗教の誕生―――二五〇〇年前同時化の謎

 

民族・国境を超えて世界宗教となっていったものには共通性がある。それは人間の心の奥における共鳴振動を動かす力があるということである。「聖なるものへの敬意」としての自然や偶像への崇敬とは異なる、人間の深い意識での価値に訴えるメッセージを有することが根底にあるといえよう。
精神医学者E・フラー・トリーが、近著「神は、脳がつくった」(本連載200で言及)で論じたごとく、ホモ・サピエンスは、約一〇万年前以降に「自分自身を考える内省能力」を身につけ、約六万年前とされる「出アフリカ」後の約㈣万年前以降に「自伝的記憶能力」(自分の死を超えて将来に投影する能力)を発達させたという。つまり、人類はユーラシアを移動し続けながら「心の内なる世界」を見つめる力を醸成していったのである。 
そして、約一万年前に定住革命が始まって約七五〇〇年が経過する中で、地球上の各地に定住した人間によって社会的関係性が生まれた。移動を常態とする時代とは異なり、気に入らない他者とも、簡単に決別できず、帰属社会の中で「忍耐と調和」を保って生きねばならなくなった。エゴと利己愛では生きられなくなったのである。また、定住することによって、地域社会を構成する権力、支配―被支配の関係、構成員相互の利害対立、そうした緊張を制御し、秩序を正当化する価値基準が必要になってきた。「自らの存在の意味」を問いかける動物となった人間は、自らを律する価値を求め、目先の利害を超越した価値への想像力を膨らませ、そこに世界宗教につながる心性が動き出したのである。
ヒトという種は恐ろしい生物である。地上の動物の中でヒトだけが「生命を脅かす可能性のある最大の敵が、同じ種の他の集団」であり、その緊張感が人間を結束させ、他者との調和を配慮させるのである。
 世界中の多くの宗教者、信仰者と向き合ってきた私の体験を通じた直感だが、世界宗教の本質は「利他愛」だと思う。つまり、他者への配慮であり、心の寛さである。それが人間の内面的価値に訴え、民族を超えて受容される素地となったと思われる。一〇年を超えた米国生活の中で、また中東・アジアを動いてきた経験の中で、敬虔に宗教に向き合う人達が、異邦人である私に見せた温かい配慮は、宗教性の希薄な戦後なる日本に生まれ育った私に、熱い思い出を残している。その度に宗教の持つ意味を再考させられたものである。

   

 

世界宗教の本質とは―――中東一神教

 

  古代オリエントで唯一の一神教たるユダヤ教が、その基軸たる「旧約聖書」を整備し始めたのが約二五〇〇年前のことであった。ヘブライ人は、自らの民族の歴史を整理し、「モーゼ五書」といわれる「創世記」「申命記」などを編纂し、法典の下に民族再興を図り、天地創造の神との契約という選民思想を形造った。モーゼが率いた「出エジプト」はBC一三世紀とされるから、「旧約聖書」の登場はそれから約七〇〇年後のことであった。旧約聖書(創世記12・1~4)においてユダヤ民族の祖とされるアブラハムは、シュメル文明の最後の中心地たるウルの出身とされる。人類最古の文字「シュメル文字」については、私がシュメル文字の刻まれた粘土板を手に入れたことをこの連載(その50)で触れた。その粘土板はウル第三王朝期(BC2112~2004年)のもので、つまり四一〇〇年前のものである。
シュメル文明の残影を残したメソポタミアのウルの地を旅立ったアブラハムは、「神への絶対的信仰」を誓い、シリアを経てカナンの地に辿り着いたとされる。その後、ユダヤ民族はエジプトへと流れ、奴隷的立場で苦闘し、ついにエジプトを脱出、四〇年間も荒野を彷徨い、「十戒」という形で絶対神との契約を結んだとする物語は、苦難の中を民族が結束して生き抜くためには不可欠な精神的基盤だったのであろう。
 出エジプト後のユダヤ人は部族の連合を形成、BC十一世紀には王制に移行、ダビデ王、ソロモン王の栄光の時代を迎えるが、BC九世紀には南北に分裂、北王国はBC八世紀にアッシリアに、南王国はBC六世紀にバビロニアに征服される。「バビロン捕囚」(BC597~538年)という苦難を味わい、ペルシャによる解放を経て、「旧約聖書」の編纂がなされたのである。こうした背景が、民族の悲劇と結束、そして使命感を際立たせたのである。
 ユダヤ教を信じる宗教民族としてのユダヤ人は、その後世界に離散する運命の中で、人類史に不思議な役割を果たす。世界中どこに居住していても、その地の権力や権威を相対化させてしか受け入れない思考がユダヤ人の特質であり、その中から世界を構造的に捉える論理性が生まれた。K・マルクス、アインシュタインから「サピエンス全史」を書いた話題の歴史学者Y・N・.ハラリまで、構造的に事象を認識する視界によって、国境を超えたグローバルな視座を提供する役割を果たしてきたのである。
ユダヤ教は民族宗教にすぎないが、そのユダヤ教を「世界宗教」へとパラダイム転換したのが、キリスト教であった。なぜキリスト教は民族を超えて受容されたのか。それは、イエスなる存在が、裏切りや不条理なユダヤ教指導層の仕打ちにもかかわらず、「愛」を語り続け、慫慂と十字架に向かった高潔性が、残された人々の心を衝き動かし、やがて彼を処刑したローマ帝国をも「回心」させる力となるのである。人類は「愛に共鳴する力」を秘めていたのである。さらに、中東一神教の三男、七世紀のアラビア半島に忽然と登場したイスラム教については、宗祖ムハンマド(AD570年頃~632年)が、神の預言者としてだけでなく、政治的・軍事的指導者だったということにより、「片手にコーラン、片手に剣」といった聖俗一体の暴力的イメージを抱きがちだが、中東から東南アジアにかけて、この宗教に触れてきた私の印象を語るならば、イスラム信仰の柱たる「五行」とされる「信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼」、とりわけ、喜捨、断食という行動に凝縮されるのは、神の意思に基づく自省と他者への配慮にほかならない。
ムハンマドは四〇歳で天使ガブリエルによって神の啓示を受けるが、「正直者」の商人として青年期を送り、人生の意味、人類の不幸を悩みぬき、その視界の中から予言者としての自覚を高めた。中東一神教を根底に置いて生まれたイスラムは決してキリスト教を否定したわけではない。キリストの神格性を否定、預言者の一人としたのである。ただ、既にキリスト教は「神の子キリスト」を掲げて欧州の宗教的権威になっていたことにより、イスラムは不遜で野蛮な存在にされてしまった。

 

 

仏教、そして儒教なるもの

 

  インド亜大陸に釈迦(ゴータマ・ブッダ、BC463~383年)が生きたのは、やはり約二五〇〇年前のことであった。中央アジアの遊牧民だったアーリア人がインド亜大陸に南下したのが約四〇〇〇年前とされ、インダス川流域の先住民を制圧した。釈迦のシャカ族もアーリア人と先住民の混血の血脈と推定される。
現在のネパール南部のインド国境近くに存在したカピラ王国のシャカ族国王の王子として生まれ、一六歳で結婚、二九歳で家族を捨てて出家して、バラモン教を基盤としながら祭祀にとらわれない自由思想修行者(沙門)の一人として生きたゴータマ・ブッダなる青年の「我執からの解脱」を求める壮絶な生涯が、世界宗教・仏教の基点となった。
仏教に関する研究書を読み込むと、仏教の誕生・伝搬については「加上」という言葉が鍵であることに気付く。釈迦自身の仏教と日本に伝わってきた大乗仏教は違うという認識である。釈迦の仏教は「究極の内省」、つまり心の内側を見つめ、欲望からの解脱、煩悩からの解放を目指すものであり、そこには他者の救済という意識はない。釈迦の最後の言葉とされる「自灯明、法灯明」がその集約点である。仏教には固定化された原理・主張がないため、釈迦の弟子、そして後進の僧侶達によって多様な解釈と思索が加えられ進化した。それが「加上」である。例えば、四世紀のインドの僧・世親などによって拓かれた「唯識論」は人間の内面の意識を深く探究することにおいて仏教思想を深化させ、こうした思考の「加上」によって、大乗仏教は「衆生救済」の宗教として、ユーラシア大陸に共鳴の輪を広げ、世界宗教になっていったといえる。「観音力」「聞光力」という仏教語があるが、本来、「音を観る」「光を聞く」というのは不可解であり、「音は聞く」もので、「光は観る」ものであるはずだが、隅々まで漏らすことなく衆生を救う力を表現したところに仏教の「慈悲」を感じる。それが、日本仏教にパラダイム転換をもたらした「親鸞の仏教」によって、「善人なおもって往生す、いわんや悪人をや」の絶対平等主義に立つ救済論の登場により、キリスト者内村鑑三をして「我が友、親鸞」といわしめるほどキリストの「愛」に近接せしめるのである。
 もう一つ、日本人の精神文化の支柱となってきた儒教にも触れておきたい。その原点に立つ孔子(BC552~479年)も、約二五〇〇年前の人であった。その言行録たる「論語」の衛霊公第一五における一言に、春秋時代といわれた中国において、諸国を歴遊して生き抜いた孔子の思想が凝縮されていると思われる。―――子貢問うて曰く「一言にして以て終身之を行うべき者あるか」子曰く、「其れ恕か。己の欲せざる所人に施すこと勿れ。」―――「恕」とは心を拓いて「ゆるす」ことであり、他者に配慮する「徳」を意味する。
 約二五〇〇年前の人類に現れ出た知の動きを確認してきたが、後に世界宗教となって世界に浸透する宗教が語りかけるものが「人間の内なる価値への共鳴」、つまり、他者への配
慮、「愛」「慈悲」「恕」にあることに気付かされる。これこそが社会的動物として生きねばならなくなった人間の意識の進化といえるであろう。

  

 

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