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エリゼ、東京~博多~長崎ハウステンボスへ行く

 2016年4月25日(月)に「全国戦略経営塾2016 in 長崎ハウステンボス」が開催されました。
エリゼは、スタッフとして塾生の方々をお迎えするため東京・寺島文庫を出発し、新幹線で博多駅へ。
そこからは車で長崎ハウステンボスに向かいました!
京都から西に行くのも初めての経験で、勿論、九州初上陸です!

  「しゅっぱつだワン!」

◆博多駅に到着してご機嫌なエリゼ(^^♪

 


車に揺られること2時間余りでハウステンボスに到着しました。
エリゼは疲れも見せず、塾生の方々をお迎えしました(^_-)-☆
思いがけないカワイイお迎えに、皆様とても喜んでくださいました。

   
 ◆ホテルヨーロッパの後方に見えるのが、
 シンボルタワーのドムトールン
 ◆大移動の疲れも見せずお迎えしました
   「笑顔でお迎えするワン!」


 全国戦略経営塾が大盛会の内に終了し、無事にお役目を果たした後にハウステンボス内を散策しました。
異国情緒溢れる素晴らしい雰囲気にエリゼもご機嫌です。

◆エアーブラシで描かれた似顔絵
  「似てるワン!」
◆リーフデ号レプリカをバックに

 

<リーフデ号とエラスムス像>
 ハーバーにはリーフデ号(岩波書店「世界」連載、『脳力のレッスン-17世紀オランダからの視界』その2とその37で紹介)のレプリカが係留されています。
その船尾を飾っているのはエラスムス像です。当時の新造船には聖人や賢人の像を掲げる慣習がありました。

 リーフデ号は1600年4月に豊後国(現在の大分県臼杵市)に漂着しました。その船にはウィリアム・アダムス(後の三浦按針)、ヤン・ヨーステン(八重洲という地名は彼が住んでいたことから名付けられました)が乗船していました。保有していた地図「南洋針路図」には石見銀山の所在地が明記されていたことから、交易を目的に銀の入手を意図していたようです。実際にリーフデ号には、大砲や小銃、毛織物や羅紗が積まれていました。当時はスペイン・ポルトガルが先行し「大航海時代」を迎えていました。新興国であったオランダと英国が邪魔を受けずに交易を行うには太平洋を横断するしかありませんでした。

 家康と謁見したアダムスとヨーステンの話から、家康は複雑な欧州の政治力学を見抜きました。彼らは後に重用され、1635年の幕府による海外渡航禁止までの朱印船貿易時代に大きな役割を果たしました。堺から浦賀に回航された時には修繕不能となるまで破損が進み廃船となりました。船尾を飾っていたエラスムス像は400年余りの時を超え現存し、国宝として国立博物館にあります。
「鎖国」という時代に、オランダだけが通商関係を維持できたのはリーフデ号の存在があったからかもしれません。

 「エラスムスは、欧州の知的世界にインパクトを与えた人文主義者の先駆者で、北方ルネサンスの巨星であった」
  (『脳力のレッスン-17世紀オランダからの視界』その37より)

 「空飛ぶオランダ人」と言われるほど、英国・フランス・オランダを飛び回り、トマス・モアなど当時の欧州知識人と交流、近代的知性の台頭に刺激を与えた。カトリックの中世的権威主義に対し覚醒した知性で固定概念をうち壊すという意味でエラスムスは先駆者であった。宗教改革の指導者であったルターも大きな刺激を受けました。しかし、エラスムスは急進化・暴力化する宗教改革と距離をとり、寛容と融和を語り続けました。ルターは失望し、エラスムスを批判した。ルター派と反宗教改革のカトリックの挟撃に会い、その煮え切らぬ態度は「エラスミスム」として宗教改革の熱狂の中で孤立していきました。元々リーフデ号はエラスムス号と名付けられていました。こうした評価があって改名された事情があったようです。

◆リーフデ号と船尾のエラスムス像 ◆エラスムス像(左の写真の拡大版)
   

◆ハーバーにておすまし

 

 (2016年4月24日、4月25日撮影)