外国語の勉強に関するいくつかの視点
ペトラ・カルロヴァー(Petra Karlova, Ph. D.)
外国語の習得には困難が伴います。そもそも外国語は難しいですが、多くの場合、言語能力と関係がありません。私はよく外国語が得意だと言われますが、日本語上達には「しつこさ」ともいえる継続的な努力が大きかったと思います。なぜなら私は日本語に拘りがありました。日本人が英語で話しかけて来ても、私はしつこく日本語で答えていました。日本語ができる外国人に対してもできるだけ日本語を話すことにしました。それを感謝してくれる友達もいます。当初、日本語に堪能でない友達は、そのおかげで日本人と日本語で話す自信を持ち、日本語が上手になりました。一方、英語を使う外国人はずっと英語を使い続け、その結果、日本語に対する違和感が残っているそうです。
確かに外国語の勉強を始めると、コミュニケーションの便利さを重視することで陥る落とし穴があります。例えば、日本で中国語を勉強する日本人には中国人の友達がいますが、その中国人は日本語が上手な場合が多く、そのために、せっかく中国人の友達がいるのに、ほとんど中国語がしゃべれないという現象が起こります。また、ロシア語を勉強している日本人もロシア人とロシア語で話そうとすると困ります。ロシア語のレベルが高くない場合、ロシア人はゆっくり話を聞くのに忍耐を強いられ、結局は英語で答えてしまうからです。
ところが、私は日本語を用いる環境を作るのが難しくありませんでした。母語がチェコ語なので、英語も日本語も両方外国語なのです。しかし私に初めて会う日本人はもちろんこれを知らず、英語で話しかけますが、私はこれが理解できずに英語に違和感を持っていました。また、英語で話しかけられてもうれしくありませんでした。日本では白人はアメリカ人とよく間違えられて英語で話しかけられますが、チェコなどの非英語圏出身者に失礼だと思いました。また、白人だから日本語ができないというステレオタイプにも抵抗感を抱きました。もちろん、チェコが小さな国なので、日本でチェコ語を話してくれるとは期待できませんでした。
いずれにせよ日本では日本語で話すのが常識だと、勝手に日本語のルールを作りました。その上、英語で話しかけられることは外国人として取り扱われるという差別だと感じました。外国人ではなく、一人の人間として取り扱ってほしかったのです。しかし、二、三年が経ったら、それが実際にチェコ人らしく取り扱ってほしいという希望だったということに気付きました。日本語でチェコ人として振舞いたかったのですがもちろん無理です。日本ではチェコの文化が通用するわけではないからです。
とにかく、私の自己中心的な態度のおかげで、日本語だけでなく、日本文化も勉強できました。同時に、英語もある程度進みました。大学のゼミでは、日本語ができない留学生が多いため、英語を国際共通語として使うのです。それに、最近日本語で英語の文章を相談するというチューターの仕事を始め、以前英語に抱いていた先入観がほとんど消えました。外国語とは、最初に基本をしっかり学べば、状況に応じて多様的に使うものだと分かったのです。
特に外国語の勉強を始めるときは、その言語を活用する環境が重要な条件です。このような環境がなければ、外国語を勉強する決心を強く意識し、その環境を自分から作ることが効果的でしょう。この決心に自分なりの根拠を見つけたら難しい外国語でもやがて使えるようになるでしょう。(2014.2)