2015年第49号より
2013年第32号より
寺島文庫 近隣探訪記
滝沢馬琴の硯の井戸
寺島文庫のほど近く、徒歩で3分余りの現在はマンションが建つ地に「滝沢馬琴の硯の井戸」があります。原稿料のみで生計を立てた日本初の作家として知られる滝沢馬琴(1767~1848年)は、 1793(寛政5)年、27歳で雑貨商を営み家主でもあった会田家に婿入りし、その後30年余りを九段北(当時の呼称は元飯田町中坂下)の地で過ごしました。48歳のとき、馬琴は代表作となる『南総里見八犬伝』を書き始め、転居後の期間を含め28年を費やして完成させました。「硯の井戸」の呼称は、馬琴が硯に水を汲み、筆を洗っていたことに因みます。
馬琴は、1767(明和4)年6月5日、旗本松平鍋五郎家に仕えた滝沢興義の三男として深川の松平邸で生まれました。主家の孫のお守り役を務めた馬琴は、この孫の暴力に耐えかねて14歳で生家を離れます。この後、会田家に婿入りするまで生活は安定せず、職を転々として放蕩を尽くした時期もありました。
生計を立てるため当初は黄表紙(絵入りの娯楽本)を著した馬琴は、会田家に婿入りした後、武士出身であることのプライドを持ちながら経世済民を説く読本(文章中心の読み物)を創作し続けます。この過程で書かれたのが、「孝」「仁」「信」「義」「礼」「悌」「智」「忠」の儒教的価値観を盛り込んだ『八犬伝』(1814年刊行開始)であり、文武と質素倹約を重んじる寛政の改革(1787~1793年)の後の時代風潮の中で、多くの人々に読まれました。『八犬伝』執筆途中に馬琴が失明したため、長男の妻・路の口述筆記によって完成させたエピソ ードは広く知られています。
ところで、馬琴は大変な読書好きで蔵書家でした。馬琴は、役に立たない本を書いて原稿料を稼ぐのは役に立つ本を購入するためである、と言い切っています。武士としての滝沢家の再興を願い、自分の孫を士分とするため、御家人株購入の費用に充てるべく馬琴が売却した蔵書は数千冊に及びました。この時の馬琴の思いは、苦渋に満ちていたことでしょう。
寺島の執筆活動の基点であり約4万冊の蔵書を有する寺島文庫が九段の地に創設されたのは、この地で執筆と学問に真摯に向き合った滝沢馬琴の磁力に引かれたからに違いありません。
<主要参考文献>『八犬伝・馬琴研究』
橋本眞一
新典社 2012年