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岩波書店「世界」2017年11月号 脳力のレッスン187 ウィーンから考える北朝鮮問題と中東・エネルギー地政学

  前号では「二〇一七年夏・内外の退嬰」への思いを論じた。この夏、米国の東西海岸、アジア(シンガポール、香港)、欧州(ウィーン、ロンドン)、そして九月のモンゴルと動き、識者との議論を通じて刺激を受け、「時代の意味」を考えてきた。この間、恫喝を続ける北朝鮮問題について、全く違った角度からの再考の機会を得た。また、エネルギー問題の専門家と向き合い、世界の構造変化を実感した。

 

 

 

ウィーンで考えた北朝鮮問題―――問われる日本の基軸

 

 ウィーンは異次元の国際機関都市である。ウィーンにはIAEA(国際原子力機関)、国連宇宙局、麻薬・国際犯罪を扱うUNODC、工業化支援を行うUNIDOなど国連関係機関の本部が国連エリアを形成しており、ニューヨーク、ジュネーブと並ぶ国連都市なのだが、加えて、OPEC(石油輸出国機構)の本部があり、中東産油国の活動基点でもある。また、映画「第三の男」を思い出すが、東西冷戦期に東西外交の接点だったこともあり、今日でもロシアや北朝鮮が大使館を構えて活動している。
そのウィーンで、気付かされたことがある。それは、この七月七日に国連が採択した「核兵器禁止条約」のことである。一二二か国が賛成したこの条約は、「核兵器やその他の核爆発装置の開発、実験、生産、製造、取得、保有または貯蔵」を禁止するほか、「これらの兵器の使用、使用の脅しをかけること」も禁止するもので、あらゆる核兵器関連の活動を禁じる条約である。実は、この核兵器禁止条約はオーストリアが主導する形でまとめられた。二〇一四年末、核兵器の非人道的側面を話し合う国際会議をオーストリアが主催、クルツ外相が「オーストリアは核を持たないことを誓う」と演説した。翌二〇一五年の核不拡散条約(NPT)の運用見直し会議において、オーストリアは前年の外相演説をベースにした「オーストリアの誓い」を文書化、各国に支持を求める運動を始めた。NPT会議では非核に向けての合意文書はまとまらなかったが、核兵器禁止を求める非核保有国の問題意識が、国連総会での核兵器禁止条約の審議という流れを呼び込み、今回の採決に至ったのである。
驚くべきことに、「原爆許すまじ」と叫び、「二度と過ちを繰り返しません」という誓いを国民合意として歩んできた日本は、この核兵器禁止条約に参加しなかった。理由は「日本は米国の核の傘に守られている」という認識に立って、核保有国、とりわけ米国に配慮して参加しなかったということである。「北朝鮮の脅威といった現実の安全保障問題の解決に結びつかない」という見解を表明、現状の枠組みを追認することから踏み出そうとしない姿勢を示したのである。
オーストリアは「核の傘」を理由に尻込みする日本に対し、「この条約は核の傘に留まることと矛盾しない」として、「核の傘」は核の使用に向けての「具体的行為」ではないという考え方で、条約への参加を説得した。つまり、核の傘の下にある非核保有国は、核による恫喝行為をしているのではなく、あくまで抑止行為なのだから、条約への参加は可能ということだった。それでも、日本は参加しなかったわけだが、それは北朝鮮問題を巡る日本の主張の正当性において、極めて後ろ向きの印象を国際社会に与えている。
北朝鮮の核・ミサイルによる脅迫に対して、「対話」によって問題が解決するとも思えない。KEDO、六か国協議といったこれまでの「対話」の経緯を振り返っても、北朝鮮という国は信頼できる対話相手ではない。「三代世襲の社会主義政権」という存在自体が「ブラック・ジョーク」であり、国民を犠牲にして「金王朝の存続」だけを目指す歪んだ先軍国家だからだ。国連合意による制裁を強化し、国際社会が結束して核放棄への圧力を高めていくことは間違いではない。ただ、その圧力に参加する日本は「なぜ北朝鮮の非核化にこだわるのか」、主張の正当性に筋道を通さねばならない。自国にミサイルが向けられているから大騒ぎしているのではなく、無差別殺戮兵器たる「核」の不条理を知る国の「非核」に向けての情熱を語るべきなのである。そのための前提として非核を目指す国々との連帯が不可欠で、「核兵器禁止条約に入らない」などという選択はありえないのである。
この条約は、九月二〇日から署名手続きが始まり、批准国が五〇か国に達した後、九〇日を経て発効する。もちろん、批准しない国に効力は及ばないが、批准国の「非核」への意思が条約によって確認されることになる。その文脈で、注目したいのは東南アジアの国々である。東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟一〇か国中九か国がこの条約に賛成した(シンガポールだけが棄権)。つまり、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピンなどが、「東南アジアの非核化」に強い決意を示したことの意味は重い。これらの国々は、日本の核政策、「北東アジアの非核化」への主導性を注視しているといえる。
 「北東アジアの非核化」に関しては、九月中旬に訪れたモンゴル・ウランバートルでも深く考えさせられた。モンゴルもこの「核兵器禁止条約」に賛成したのである。モンゴルは冷戦期にはソ連の衛星国であり、一九四八年以来、北朝鮮と国交を維持してきた。一九九〇年の「民主化」以後、韓国とも国交を持ち、北東アジアに独特の立ち位置を確保している。ロシアと中国の間に挟まれ、この2つの大国がプーチン、習近平という二人の強権的指導者によって変質しつつある今、「核兵器禁止条約」にコミットし、「非核化」の旗を立てていることは北東アジアにとって重要である。
 本来、日本こそ北東アジアの非核化の先頭に立って、「日本―韓国―モンゴル」の連携において、ロシア、中国という核保有国を牽制し、朝鮮半島の非核化に向けての基軸となる方向感を明確にすべきである。韓国も核兵器禁止条約には不参加であったが、文政権は核兵器の保有を否定する政策を示しており、「核をもった統一朝鮮半島」という悪夢のシナリオを回避するためにも、現時点から一貫して日本はこの地域の「非核化」にこだわるべきなのである。
北朝鮮問題にとってモンゴルは重要である。ロシア革命を受けて一九二四年に「モンゴル人民共和国」として社会主義陣営に入り、北朝鮮との国交の中で、金日成も二回、モンゴルを訪問した。前述のごとく、民主化後、韓国との国交を樹立したため、北朝鮮との関係が一時冷却し、大使館閉鎖などの動きもあったが、今日でも朝鮮半島の二つの国と良好な関係を維持しており、現在、約二〇〇〇人の北朝鮮からの労働者を受け入れる一方、韓国に三万人のモンゴル人労働者が働いているという。「北東アジア」の安定を強く意識する理由も分かる。
 日本が米トランプ政権の「あらゆる軍事的選択肢がある」という姿勢に運命を預託することは間違いである。日本は核戦争にコミットしてはならない。核兵器を恫喝に使う狂気の存在に対して向き合うとき、我々は核兵器が如何に不条理な兵器かについての想像力を取り戻さなければならない。私には、ワシントンに行くたびに気になる場所がある。ホワイトハウスの正面にラファイエット公園があるが、その公園を越えたところに小さな黄色い壁の教会が立っている。セント・ジョンズ教会である。トルーマン大統領が広島への原爆投下を決断する直前、この教会で一人祈りを奉げたと伝えられる場所である。大量無差別殺戮兵器の使用を、トルーマンはいかなる心の葛藤で決断したのであろうか。
 北朝鮮問題が軍事衝突という局面を迎え、戦争がエスカレートして、米国や日本の都市が核攻撃をうけることはもちろん、平壌が核の犠牲者となることさえも拒否しなければならない。そのためにも日本は、現段階、自らの核兵器の保有を拒否し、北東アジアの非核化を推進する意思を鮮明にしなければならない。核不拡散条約(NPT)の前提は、「非核保有国を核兵器で攻撃しない」というものであり、日本が国際社会に訴えるべきメッセージの基軸になる論理がここにある。

 

 

 

エネルギー地政学の変化を投影する油価

 

  さて、今回のウィーン訪問の主眼は「エネルギー地政学変化の確認」であった。八月末、ウィーンで第四二回の中東協力現地会議(主催:中東協力センター、後援:経済産業省)が行われ、私にとっても十一回目の参加で、基調講演を行った。この会議は、一九七三年の石油危機の後、当時の経済界のリーダーであった中山素平(日本興業銀行)、水上達三(三井物産)といった先達が、中東を単なる「石油モノカルチャー」の相手と見るのではなく、民族・宗教など多角的視点から向き合うべしという問題意識でスタートさせた会議で、日本の戦後を支えた経済人たちの志の高さを思わせるものである。
今年は、ロンドン・エコノミスト誌のシンクタンクたるインテリジェンス・ユニットの中東・アフリカ担当部長Dr. P. Thakerや開催地ウィーンに本部のあるOPEC(石油輸出国機構)の石油研究部長Dr. H. G. Fardなどの専門家も参加し、議論を深めることができた。
 石油価格の動きは時代の変化を映し出す鏡であり、二一世紀に入っての石油価格の動きを示すのが[資料1]である。原油価格の乱高下はすさまじいものがある。二〇〇一年の九月一〇日、つまりニューヨーク、ワシントンを襲った九・一一の同時多発テロの前日のNYの原油先物市場、WTIはバーレル二七ドルであった。それが、二〇〇八年夏、洞爺湖サミットの年、なんと一四五ドルにまで高騰した。背景にはイラク戦争を挟む中東情勢の不安定と二一世紀初頭の中国など新興国を牽引役とする世界経済の活況があった。ところが、二〇〇八年秋のリーマン・ショックを機に一気に三〇ドル割れにまで下落、その後再び上昇、二〇一〇年代に入り、二〇一四年秋まではほぼ一〇〇ドル前後の水準を動いていた。それが昨年、一時は二六ドル台水準まで急落、産出国経済に大きな打撃を与えた。現在は、ほぼ五〇ドル水準を回復している。

 

 


 二〇一四年以降の乱高下の背景にある要因は何か。まず、供給側の要因として、米国の原油生産増が挙げられる。二〇一四年以降、北米におけるシェールガス・ブームが一巡し、過剰供給からLNGの価格が下落、ビジネスモデルとしての魅力が後退し、投資が比較的価格が高かった原油に向かい始めた。二〇一四年には、米国がサウジアラビア、ロシアを抜いて、世界一の原油生産国になった。[資料2]を注視すれば分るが、供給過剰の主因は、米国の供給力拡大にある。加えて、昨年からは「核合意」後のイランが制裁を解除され、国際市場に戻ってきたことも大きい。昨年のイランの原油生産は四六〇万BDにまで回復した。OPECが生産調整に動いても、供給過剰を解消できない状況が続いている。 需要側の要因としては、世界的なエネルギーの利用効率の向上、省エネルギーの浸透がある。かつては一単位のGDP拡大を実現するには、一単位以上のエネルギー消費の増加が必要であった。「エネルギー弾性値」という視点だが、この一〇年間、この数値は〇・三に下がっており、例えば今年、世界全体の実質GDPは三・五%成長すると予測(IMF予測)されているが、それを支えるエネルギー消費の拡大は一%前後に抑えられる時代なのである。加えて、この夏、欧州諸国が相次いで「自動車の電気自動車化」という方針を明らかにしたが、「脱石油」に向けて世界は動き始めている。
 需給関係だけで石油の価格を展望した場合、二〇一〇年代に原油価格が七〇ドル水準を超すことは考えにくいというのが、会議に参加した専門家の意見の集約点だったといえる。
七〇ドルというのは、産油国の経済を安定させるための望ましい水準という意味である。
但し、一つだけ重要な変数として視界に入れるべきは「金融」という要素である。つまり、肥大化した金融が「コモディティー市場」に流入するというマネーゲーム的要素が働いた場合、一〇〇ドル超えもありうるという見方である。強欲なマネーゲームが経済の基本指標であるエネルギー価格を揺さぶるという構図は繰り返され、増幅されているといえる。マネーゲーマーはメディアを使い「供給不安材料」を誇張する情報を流す。直近では、ベネズエラの内政不安、ハリケーンによる米南部石油関連施設の被害など「需給構造」に与える影響を冷静に判断することなく、ことさらに強調する。
 マネーゲームがいかに石油市場を乱高下させる要因となるかを端的に示すのが「ハイイールド債」と呼ばれる債券の動きである。「ハイイールド債」とはハイリスク、ハイリターンの債券で、かつて「ジャンクボンド」といわれていたが、リーマン後、装いを変えて世界の過剰流動性を引き込んでいる。必ずしもエネルギー関連の債券だけではないが、「シェールガス・シェールオイル・ブーム」に乗って一儲けしたい投資家の資金を吸収してきた。[資料3]を見てもらいたい。「ハイイールド債スプレッド」とは、最も安定した債券といわれる米一〇年物国債の利率とハイイールド債の利率の差であり、昨年原油価格が二六ドルまで下落した時、シェール開発案件のデフォルトが増加、ハイイールド債のリスクが跳ね上がり、スプレッドが上振れしていたことが分る。現在、原油価格が五〇ドル前後に落ち着いているため、スプレッドも安定しているが、いかに危ういマネーゲーム要素が原油市場に内在しているかを痛感させられる実はこの問題、先月号でも触れた「デモクラシーは金融資本主義を制御できるのか」という課題に通底するものである。北朝鮮問題やトランプ政権の迷走など政治リスクが顕在化しているにもかかわらず、株価だけが史上空前の水準に高騰しているのも、「強欲なウォールストリート」の自己増殖以外の何ものでもないが、マネーゲームによって実体経済が揺さぶられるという病理が常態化している。悩ましいのは、情報ネットワーク技術革新が、AI(人工知能)、Fintechなどといわれる局面を迎え、「金融工学」が新たな局面に進化する中で、金融セクターの時代に対する責任という問題が重く存在する。何故なら、マネーゲームの肥大化が「格差と貧困」を増幅し、社会不安の根底に横たわるからである。

 さらに、中東の地政学的リスクだが、先述の「米国の原油供給力の高まり」や「脱石油」
という動きが金満アラブといわれた湾岸産油国にも微妙な圧力を加えつつある。六月、サウジアラビアをはじめとする中東六か国がカタールと国交断絶し、湾岸産油国の結束に亀裂が生じ始めているが、背景にはシーア派イランの台頭がある。今、中東で進行している構造変化の中で、最も重要なのは「シーア派イランの台頭とトルコの野心の高まり」であろう。一〇一年前、一九一六年の英国とフランスの間の秘密協定たる「サイクス・ピコ協定」によってオスマン帝国解体後の中東の分割統治が始まった。「大国の横暴」の始まりである。
一九六八年に英国がスエズ以東から撤退、代わって米国が湾岸に覇権を確立してきたが、イラク戦争後の統治に失敗、米国の中東でのプレゼンスは後退を続けている。大国の後退により、中東に埋め込まれた地域パワーの下絵が炙り出されてきた。それがイランとトルコの台頭であり、トルコ、イラク、イランにまたがるクルド族二五〇〇万人の独立への動きである。また、シリア介入を橋頭保として、中東での影響力を高めるロシア、トランプの中東政策の後押しを受けて増長するイスラエル―――中東は新たな地殻変動にある。
 こうした中東に日本はどう向き合うのか。産油国側のニーズも、単なる「化石燃料取引」を超えて多様化、多次元化している。日本は中東に領土的野心を持ったこともなく、軍事介入したこともない技術を持った例外的先進国として、信頼・期待されている。この立ち位置を自覚し、日本らしい貢献、意味のあるプロジェクトを確実に組成していくしかない。日本も世界史のダイナミズムの中にある。そのことを思い知らされた夏であった。

 

 

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